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若狭高浜|歴史

「御食国(みけつくに)」若狭、さきがけの地 古代より、「食の国」として平城京・平安京の食を支えたところ

賞は60年代、奈良の平城宮跡から出土した大量の木簡の中から、
「贄札(にえふだ)」という天皇の食卓に提供される全国各地の特産物が記された
「贄=食材」の木簡が発見されました。その中で、若狭の贄木簡は、
そのほとんどが現在の若狭町から送られた海産物の「すし」や「ひもの」そして、
「塩」でした。今でも使われている「青郷」「氷曳(日引)」「車持(くらもち)」「木津」
の地名が記されていました。
高浜町のあたりは若狭国遠敷郡(おにゅうぐん)と呼ばれ、古墳時代から日本海沿岸、
朝鮮半島との交易が盛んであり、渡来文化の影響を色濃く受けていたところです。
さらに、奈良時代には、「御食国(みけつくに)」として天皇の食卓へ海の幸、塩を献上した
古い歴史があります。

西の鯖街道銅像

西の鯖街道銅像

佐岐治神社

高浜町宮崎に1800年以上前に創建したと言われ、旧高浜町一体の総鎮守の社

延喜式神名帳に名が記されている古社で、創建は1000年以上も昔とされています。
天正1579~92)に高浜領主であった逸見昌経、中薗部村から当地に遷宮したと
伝えられ、素戔鳴尊、稲田姫命、大巳貴命をまつっています。
佐伎治神社の『式年大祭』は、通称『七年祭り』ともいわれ、その名の通り7年に1度、
旧暦6月卯の日から酉の日まで7日間にわたって繰り広げられる古式ゆたかな神事です。


七年祭(しちねんまつり)

佐岐治神社の式年大祭。永禄年間(16世紀中期)から伝承される祭。
3基の神輿が区域を回り、大太刀振り、お田植え、神楽、曳山などの
芸能が繰り広げられる。


青海神社

延喜式内社、古代青郷の総鎮守。青郷の人々の祖先は古代氏族海部氏の青海首で、
海部を統治したとされる第17代履中天皇の皇女、飯豊青皇女が祭神。


中山寺

国指定重要文化財に指定されている中山寺は青葉山の中腹にあり、美しい高浜、和田海岸を一望することができます本堂は桧皮茸の簡素な建物で、736年に聖武天皇の勅願により、泰澄大師が創建したと伝えられています。重要文化財に指定されている『木造馬頭観音菩薩座像』は、33年に1度しか開帳されないという秘仏でもあります。


馬居寺

聖徳太子の創建と伝えられる古刹で、桜と紅葉の名所として知られています。本堂には重要文化財の馬頭観世音菩薩坐像、本堂右手には五輪塔や数百体の石仏が静かに並んでいます。


大成寺

若狭でも数少ない臨済宗建仁寺派の中本山。山門(観潮桜)は文化10年(1813)より8ヶ月の歳月を経て竣工されました。桜門からは若狭湾が望め、見るものにやすらぎを与えてくれます。「心静まるもの」を求め、「心の仲間」に出会うことを願っている方は禅の体験ができます。


正楽寺

正楽寺は764年、僧・行基によって開山されました。そのひっそりとした雰囲気は、訪れる人にやすらぎを与えてくれる不思議な空間をつくっています。本尊聖観世音菩薩は、行基が山中に霊木を得て自ら刻んで安置したと伝えられています。